伝統霊気の特徴

香りの森
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このページまでたどり着いたあなたは、とても探求心が強いと思います。
私の本音を語っていますのでご了承下さい。歴史的な考察・日本文化の背景も含めて、理解したい方は、拙著「日本と霊気、そしてレイキ」を読まれると、とてもスッキリすると思います。

leaf伝統霊気は西洋レイキとどう違うの?

西洋レイキを習った人にとっては、伝統霊気・直傳靈氣がどのように違うのか、興味のあるところだと思います。本来、それは講習で分かることなので、それが一番良いのですが、ここでは講習の内容には抵触しないように、説明を試みてみました。
説明する側として難しいのは、「西洋レイキ」の実態がハッキリしない点です。西洋レイキには実にいろいろな形があり、その人の習ってきた西洋レイキの内容によっては「直傳靈氣ってなんて違うんだろう」と感じるかもしれませんし、逆に「あー、やっぱりレイキってその本質は同じなんだ」って感じるかもしれないからです。
ここでは、私の持っている知識から「平気的な西洋レイキ」を想定して、話を進めます。技術的な相違は別ページに表でまとめてありますが、ここでは根本の深い部分に触れてゆきます。

circle g1 根本のエネルギーは同じ

レイキあるいは霊気は、本質的には同じエネルギーで、そのエネルギー自体に何か根本的な違いがあるわけではありません。私のように、西洋レイキも直傳靈氣もやっている場合は、単純に相手に手を当てているときに、今どちらを使っているという意識はありません。
レイキ・霊気というのは「自然体にしているときに自然に出る気」です。このエネルギーは、人間の意識とは別な次元で存在していますから、エネルギー自体に西洋だの伝統だのと人間に付随した違いがあるわけではありません。しかし、そのエネルギーを使うのは人間で、その人間の意識の違い、目的の違い、文化の違い、宗教の違いがありますから、そこで違いというものが生まれることになります。これが、以下の話を進める上での大前提です。(一部の西洋レイキのスクールでは、何かをイメージングしながらレイキさせたり、無理に念を使おうとさせたり、レイキを誤解して教えているところもあります。それらの人にとっては伝統霊気は驚きかもしれません。)

circle g1 他力本願 VS 自力本願

典型的な西洋レイキと伝統霊気の一番根本的な違いは「外部から与えられるもの VS 元々持っているもの」でしょうか。典型的な西洋レイキは、レイキの能力というのは外部から与えられるもの、アチューンメントをして始めて獲得するもの、シンボルを使って得られるもの、という他力本願の傾向が強いです。

一方で、伝統霊気では臼井先生の「萬物生を享けたる者は何万でも天恵として治療の霊能を備えて居るものです。草木禽獣魚虫皆然りでありますが、殊に人間は万物の霊長でありますから、一層著しく発現するものであります。」(公開伝授説明)という言葉にあるように、本当はもともと誰でも持っている力という自力本願の考えがあります。これは人間をどう捉えるかで、非常に大きな違いで、西洋レイキそして伝統霊気の隅々にまで渡って影響をしている部分です。

西洋レイキはキリスト教の影響が強いと思います。近代的・教会的なキリスト教では、すべての人間は「原罪」を背負って生まれてきます。すべての人が罪人です。ですから、キリスト教の説く究極の目的は「救済」です。罪を背負って生まれてきた人々をいかに救済するかが大きな課題です。

一方、私達日本人の文化・考え方に強い影響のある神道・古神道では、私達は大いなる存在から分かれて生まれてきて、常に高い次元とのつながりを持っているという考えです。もちろん、この世の現世の生活をしていると、汚れたり低次元の考えになったりすることがありますが、ミソギや払いを行って浄化すれば(現世においても)再スタートできます。神道は人生のリセットがOKで、自分が向上して修養すれば、素晴らしい高度なことも出来るというポジティブな発想です。

キリスト教(あるいは仏教では)では、現世で悪いことをすれば地獄へ堕ちますが、古神道では、現世で悪いことをしても、死んで地獄とか天国とはあるわけではなくて、どんなに悪い人間でもまた大いなる存在へ戻ってゆく、そういう考えです。

伝統霊気では、私達は本来は素晴らしい存在であるという人間に対する肯定的な理解を隅々まで見ることが出来ます。実はこの違いこそが、西洋レイキと伝統霊気・直傳靈氣の違いを理解する上で、最大のポイントになります。

circle g1 血筋(Lineage)の発想

西洋レイキでは他力本願の傾向がありますから、レイキはアチューンメントを受けないと出来るようにならない、その能力は外部から与えられるものだから、臼井先生から近い「血筋」ほど良いという発想をする人がいます。日本国内ではこの傾向は希薄ですが、海外へ行くと、どのマスターも「私はこういう血筋(lineage, blood lineage)に位置する」と言う説明を必ずします。欧米では血筋をちゃんと示せないレイキマスターはインチキだと思われることが多いからです。
もしも、レイキ・霊気が本来は誰でも出来るものであれば、血筋などは重要ではなくて、今現在どのような実践をしているか、どのような実践をしてきたのか、それだけを気にすればいいわけです。しかし、これが他人から与えられた能力だと思っていると、これがそもそも誰に遡るのかというのは重要になってきます。

circle g1 シンボル: 神聖 VS 道具

一般的な西洋レイキでは、シンボルそれ自体を神聖とか神秘的と考えることが多いですが、これは「力は外部から与えられたもの」と考えるから生じる発想です。神聖なシンボル、神秘的なシンボルが、私達には本来ない力を与えてくれることになります。これが後述する外部依存を引き起こします。伝統霊気では、シンボル(正確には印や呪文)はあくまでツールであって、本来ある私達の潜在能力を発揮させてくれると考えます。

circle g1 シンボル: 分からないもの VS 日本の文化

伝統霊気を学ぶと、印や呪文は、私達日本の文化の中から生まれたものということが明確になります。良くわからないものではなくて、ちゃんと文化的なハッキリした背景があることを知ります。西洋レイキのシンボルはどちらかというと「良くわからない奇妙なもの」として感じることが多いと思いますが、伝統霊気では文化的に身近なツールとして出てくるので、初めから心理的に使いやすいのです。「あー、やっぱレイキって日本のものだったんだ」って納得できると思います。

circle g1 シンボル: 依存と複雑化

レイキを、シンボルが与えてくれる外部から来る力と考えてしまうと、それに依存してしまいがちになります。自分の力が信じられないので、自分以外の要素に頼ってしまい、何でもかんでもシンボルを使ったり、どんどんどんどん複雑な技法を作ってしまったり、シンボルへの依存と同時に、非常に複雑な使い方に到達します。もちろん、西洋レイキを習って習熟すればそういう使い方もありですが、自分で「シンボルに慣れている」と感じている人でも、伝統霊気を習えば、その技法のシンプルさには、目から鱗が落ちるかもしれません。

また、昨今の一部のスクールに見られるように、西洋レイキのレベル1とレベル2を連日で教えたり、ひどい場合は同日で教えたりすると、シンボルのないレイキを体験する機会が希薄になり、シンボル無しでは何も出来ないと、誤解をさせてしまうケースも少なくなく見られます。また、シンボルさえ教えればレイキを教えたことになったように錯覚して、いい加減な内容のスクールが運営されている場合もあります。

このように外部依存の終端には、他力本願 → シンボルへの依存 → スクールの質の低下 という連鎖反応が起こっているのが、現在の西洋レイキの業界の問題でもあります。

circle g1 儀式は必須ではない

「外部から与えられるもの」という考えでいると、レイキを使うときでも「何かしないと使えない」「いつもはつながっていないから、レイキとつなげる作業をしないと使えない」と考えてしまう場合があります。一部の西洋レイキのスクールでは、最初に乾浴やレイキシャワーをしないとレイキが使えないと教えるところもありますが、伝統霊気では儀式は必須ではありません。

circle g1 自由だけど自由でない

西洋レイキのほうが自由度が高いと思われますが、後述するように確かにそういう部分もあるのです。ただ、逆に言うと西洋レイキでは「何をやっても自由」という発想があり、これは自由に創造的に発展させるという良い面だけならいいのですが、「いい加減でもいいだろう」「なんちゃってでも大丈夫」など、自分の怠慢やお金儲けのためのズルを正当化させるために「自由」だと誤解している場合が見られます。

一般的な西洋レイキのスクールでは、「こうしてはいけない」「こうしなさい」「こうするとこういう悪いことが起こるよ」などと、いろいろな禁止令を教えています。一見「自由」なようで、実はがんじがらめになっている部分が少なからずあるのですね。民主主義の発達した民主国家でできあがった西洋レイキのほうが、戦前の日本で生まれた伝統霊気よりも自由でないというのは、実におもしろい、皮肉な現実です。

伝統霊気では、自身の直感をかなり重要視します。病腺を感知して治療するという点もそうですし、霊示法(直傳靈氣ではない)といって、相手の悪い部分を直感的に知るという点もそうです。こういう形式に囚われない自由さが伝統霊気にはあります。アメリカの本を読むと、西洋レイキでもこういった直感的な技法を自分で発見して、新しいレイキだと宣伝している人もいますが、そういった事はすでに伝統霊気の中でちゃんと実践されてきているのです。

circle g1 指導者の養成方法

講習の内容とは別に、際だった違いがあるのが指導者の養成システムです。一般的な西洋レイキのスクールでは、指導的立場になるマスターやティーチャーと呼ばれる人たちの育成は、かなりいい加減で行われています。単に講習を受ければそれで終わりのスクールが大多数です。また、新規でマスターやティーチャーになった人が生徒を教えて、その下の孫マスターや孫ティーチャーを簡単に作れますので、最初に指導したマスターやティーチャーの質が受け継がれるとは限りません。

伝統霊気では、日本で昔から行われている武術や習い事の指導者の養成システムに従っています。ちゃんと施術の実績のあるものだけが師範格になり、師範格は一定の教える経験を積んで能力を示してから師範になる、という形です。直傳靈氣の場合は、師範を養成できるのは代表の山口忠夫先生だけなので、孫師範というものは存在しません。師範の質が一定以上になるようにちゃんと管理されています。

circle g1 直傳靈氣のほうが強力?

一部の直傳靈氣の人たちは、西洋レイキよりも直傳靈氣のほうが強力であると宣伝する人もいますが、こういった言い方は厳に慎まなければなりません。しかし、一部の西洋レイキでそういった印象を与えてしまう結果になる場合があります。それは、実はここに述べている内容と関係しています。

レイキ・霊気は使う人の心が穏やかであれば、それだけ沢山流れます。心配が多かったり、恐れが多かったり、怒りがあったりしては、霊気・レイキの流れが阻害されます。「五戒」が出来ていれば、出来ているほど、豊富なレイキ・霊気が流れるのです。しかし、ここで述べてきたように、典型的な西洋レイキでは、心配させたり、怖がらせる要素が山のようにあるのです。習った西洋レイキによっては、気の流れが十分に起こらず、レイキの量が多くないと感じさせる結果になる場合があるのはこのためです。

circle g1 今 VS 過去・未来

伝統霊気では、五戒の「今日だけは」に象徴されるように、「今」という時間だけを問題にします。過去は変えられませんし、未来というのは今日のあり方で、いかようにも変わるのですから、何かを乗り越えたければ、今・今日を変えればよいのです。未来を変えたければ、今・今日行動すればよいのです。極めてシンプルです。今日という一日一日の積み重ねこそが大切という考えです。

これは別の表現をすると「自己責任 VS 責任転嫁」ともいえます。過去の問題を引きずっているときに、それは自分のカルマやトラウマ、あるいは自分の育成環境、他人が起こした行動などのためだと考えるのが西洋的なことです。
キリスト教では、良い行いは「ハイヤーセルフ」の助けで、悪い行いは「サタン」や「インナーチャイルド」のせいだとすることがあります。西洋的な考えは、まずその原因を探求して、その要因にアプローチするという形で、問題を擬人化します。悪く言うと責任転嫁なんですね。これは、それによって心理的に楽になるという面はありますが、逆に自分でコントロールできない部分に原因を転嫁して、開き直って解決を遅らす場合が出てきます。
伝統霊気は、すべて自己責任です。人間は本来は素晴らしい力を持っていて、自分の問題はちゃんと自分で解決できる、過去やトラウマのせいにする必要はない、と考えます。

一部の西洋レイキのスクールでは、「講習を受ければ幸せになれる」といった詐欺まがいの宣伝をすることがありますが、これはまさに他力本願の典型ともいえます。お金を払って講習を受けると、幸せになるという文句に魅力を感じる人が案外に少なくないのです。伝統霊気では、自分の問題は自分で解決できる、なぜならば誰でも本来はそういう能力があるから、と考えます。自分の人生は自分で責任を持つ、日本人は本来はそういう考えが出来たのですね。

circle g1 弱い人に優しい西洋レイキ

これはさらに別の視点で捉えると、「弱い人間 VS 自立した人間」ともいえます。ある意味で、西洋レイキは弱い人たちに優しい、伝統霊気は人間は本来は強いものと考えます。

小さいときから「人間というのは、罪を背負って生まれ来て、弱い非力な存在で、神様に(あるいは教会に)救済してもらわないといけない」と教わって成長した人は、結果自然にそうなるでしょう。

逆に「私達は誰でも大いなる存在から分かれてきて、素晴らしい存在で、本来は素晴らしい力を持っていて」と言われて育てば、そうなるでしょう。

戦後の日本人は、戦争に負けたことあって、弱く、低級で、劣っていて、遅れていて、という自虐的、自己否定的な雰囲気の中で成長して育ってきました。どうしても、他力本願的な傾向になってしまうのは、やむを得ないことなのかもしれません。そういう人たちにとっては、良いものを「与えてくれる」西洋レイキは魅力的なのだと思います。

circle g1 それでも残る西洋レイキ

以上、西洋レイキと伝統霊気の違いを、根本的な部分まで遡って書いてきました。これを読まれた方は、じゃ西洋レイキって必要ないじゃないと考える場合があるかもしれませんが、それは違います。

その理由の第1としては、戦後の日本人は強くない、とても"か弱い"、非力な存在であるという点です。多くの人が、癒しを求めて、自分のトラウマにとらわれて、自分の過去にとらわれて、自分の未来を心配して、日々、毎日を方向性を失って暮らしている人のなんと多いことか。そういう現状では、西洋レイキはどうしても必要とされる部分でしょう。伝統霊気のように、自分で頑張りさえすれば出来る、というのは出来ない人も多くいるのが現状です。

第2の理由として、西洋レイキは良い意味で自由です。適用範囲が広い、技法が豊富、応用的な技法が豊富、カリキュラムが自由などがあります。私自身は直傳靈氣も沢山教えていますが、伝統霊気の情報や技法を保存し継承するのは最大限に重要ですから、カリキュラムはかなりハッキリと固定されています。レイキ・霊気の良い面を発展させたり、時代に対応させたりは、別の枠組みが必要なのです。
私の場合は、カリキュラムが自由に変更できる西洋レイキの特長を最大限活用しています。しかし、直傳靈氣はしっかりと内容を守ることもしています。両方が必要です。

上記に述べたように、一般的な西洋レイキでは、西洋文化の影響を悪く受けた部分が少なくなくあります。こういう点は、香りの森の西洋レイキの講習では訂正・改善してありますが、それでも西洋レイキ独自の部分はちゃんと残ります。悪い点は是正してゆかなければならないと思いますが、西洋レイキの良い点は、さらに強化して発展させてゆかなければならないと思います。

西洋レイキを上手に実践したいと思っている人は、是非一度、伝統霊気・直傳靈氣を学ばれることです。西洋レイキの経験者は、伝統霊気・直傳靈氣も学んで、是非良い意味での西洋レイキの発展を進めていただきたいものです。

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